映画で話題にもなった「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて
慶応大学に現役で合格した話」の著者である。
才能の正体とは、表面的なことでは分からない本質を見抜く「洞察力」
としながら、個々人の才能である「尖がり」とはどういったものか、
どう伸ばしていくかを、経験にもとづいて大変興味深く記載している。
著者によると、
・教育=知らない人に知識を与えること
・マネジメント=知っているけど、やれないことをやれるようにすること
と定義している。
教育はするけれど、マネジメントがおろそかな会社組織が
圧倒的に多いのではないだろうか。
著者自身も会社を経営しているのだが、
「普通の会社では採用されないような人」を採用し、一般社会では
才能がないと思われる人たちの才能を、どう引き出し成長させるかの
試みも行っている。
組織では「人は大義で動くもの」であり、社員に目に見えるような、
具体的に想像できるビジョンを共有する重要性を著者は強調する。
そして組織で何より優先すべきは、目的をはっきりと打ち出し、
「最も成果を上げる確率の高い作戦行動を選び」「組織として
動くこと」ことにあるという。
高い戦略性には、こうした組織での意識レベルが必要なのである。
それを導いていくのが上司の役割だろう。
20年ほどの私の営業職時代の上司は「売上を上げること」が
仕事の目的だと理解し、目的と手段を全く混同しているレベルの人
がほとんどであった。また正論だけの具体性のないことを言う上司が
少なからずいたのを覚えている。
仕事を進める上ではコミュニケーションは不可欠であるが、
著者は「自分が何を言ったかではなく、相手にどう伝わったかが
すべて」と言い切っている。
ここで著者は、組織で仕事をするほとんどの人が気付かない、
鋭い指摘をしているのだが、「言葉だけで何かを伝えようと
すると、それを受け取る人は各々で認知が違うため」、
受け手には「ズレが生じてしまう」ということである。
言葉で言われたことに対しての理解や想像力は、人によって
様々。誰一人同じ経験をしているわけではないから、とらえ方
に個人差があって当然なのである。
そして「人に何かを教える上では『前提の確認』が非常に大切」
であり、前提が違っていたら、コミュニケーションが破綻して
しまうと著者は言う。
よく新しい仕事を覚えるとき、その仕事に精通している人から
言葉で教えてもらうことが多いと思われるが、教えられる受け手
側が「置いてけぼり」になってしまった経験はないだろうか?
教える側は当たり前のことでも、受け手側が知らないことを
言葉だけで説明されても、教える側の意図することと受け手の
間に、認識のズレが生じるからである。
このことを経験上知っている人は、イメージ図や表を多用し
できるだけ具体的に理解してもらえるように、質問してもらえる
ように配慮を行き届かせている。
著者は、自分の「認知」をする作業の重要性を繰り返し説いて
いるが、「認知」とは「これなら自分にもできそうとか、きっと
人生の役に立つに違いないと思ったりして行動に移すこと」
だそうである。
そして「今自分が認知したこと」はどういう状況なのか
自分で自分にフィードバックし、客観視し気付くこと、
それが能力開花につながるという。
「カメラが後ろにあって、自分がどういう状態かをカメラ越しに
見る」という分かりやすい表現もしてくれているが、言わば
「自分を俯瞰する」作業と言えるかもしれない。
最後に、現代は「親や教師、上司の言うことを聞きすぎている」
という著者の指摘があり、親・学校・職場での「思考停止」教育に
警鐘を鳴らしている。